ぶらり歩き

22. 長津田周辺を歩く  町田フットバスガイドブック              平成22年9月26日

 NPO法人みどりのゆび発行の「まちだフットパスガイドブック」に掲載されたウォーキングコースを辿る第2回目として、田園都市線・長津田駅からすずかけ台駅のコースを歩く。

 今年は猛暑というのに相応しい暑い夏が今週前半まで続いていたが、彼岸を過ぎてやっと秋らしい気温に落ち着いてきた。暑さ寒さも彼岸までとは、けだし至言であり、心底得心できる。
 
 9時前に長津田駅の改札口を出て清々しい秋晴れの下歩き出す。こどもの国線の踏み切りを渡り、鎌倉古道に突き当たる三叉路(写真1)に、風化してさだかではないが、青面金剛像三猿が刻まれていたと思われる石仏(写真2)が祭られている。、そして田園都市線、JR横浜線のカード下を潜り抜け、八坂神社に向かう。八坂神社の境内からは長津田駅、その先の恩田川に続く平地が一望することができ、当時皇太子の昭和天皇が大正10年(1921年)の陸軍大演習を天覧したという。現在は木立が生い茂り、境内からそれを目にすることはできないが、それを記念した高さ約7mの記念塔(写真3)が境内に建立されている。

写真1 鎌倉古道の三叉路 写真2 石仏 写真3 八坂神社 記念塔



 
 八坂神社に近い長津田小学校では運動会が開催され、一年生と思しき子供たちの玉入れに観客からの大きな声援が聞こえてきた。 ここで、ガイドのコースを外れて、長津田小学校からの道を下り、矢倉沢往還沿いに建つ長津田の鎮守・大石神社に立ち寄る。今日は秋の祭礼当日ということで、境内では氏子の皆さんが雑草取り、掃除に大忙しに立ち働いている。この神社の由緒については定かではないようだが、在原業平にまつわる伝説が伝わっており、古い時代の創建の神社であることは確かなようである。ご神体は高さ1.35m、中央部1.1mの先端が尖った自然石である。参道の途中に、神社の南側を通る矢倉沢往還の長津田上宿の常夜灯(写真4)が祭られている。下宿の常夜燈は長津田駅近くの矢倉沢往還沿いに立っている。再び、長津田小学校の脇を通り抜けて八坂神社に戻り、ガイドのコースを辿ると、森村学園の学校建設予定地と書かれた看板が立つ雑木林の小道に出る。今まで聞こえていた生活音から遮断された雑木林の小道はあっという間に通り過ぎて、住宅、森村学園の校舎、そして自動車が行き交う舗装道路を進む。住宅地の間の道を縫っていくと、江戸時代に長津田村の領主であった旗本・岡野房恒が熊野から王子権現を勧進して創建した王子神社(写真5)に出る。社殿は権現造りの堂々とした構えである。

 神社の前を通る国道246号線に架かる歩道橋をわたると、岡野房恒の祈願所・福泉寺がある。現在は弘法大師関東八十八カ所第85番の寺となっている。福泉寺の墓地を抜けて尾根伝いの道を進み、、送電鉄塔の手前の細道(写真6)に入る。この辺りは伯楽谷戸(はくらくやと)と呼ばれる自然に恵まれた地域であるが、周辺の平地は住宅地として開発されている。伯楽というのは馬の医者のことを言い、昔この谷戸に代々伯楽が住んでいたという。この細道が通る雑木林はその住民が散歩を楽しむ場となっているようで、犬を連れた人とすれ違う。

写真4 矢倉沢往還 長津田上宿常夜灯 写真5 王子神社   写真6 伯楽谷戸の細道




 そんな尾根道の途中に素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とする天王社(写真6)の社が建っている。尾根道が終わり道を下っていくと、古くからの住人の住まいと思われる民家が現れる。民家を結ぶ傾斜地を縫う道は曲がりくねっていて、車がすれ違うことができない狭い道とってなっている。そんな三叉路に伯楽谷戸周辺の女性14人が念仏供養として建立した林地蔵尊(写真7)と呼ばれるお地蔵さんが祀られている。今から250年前の宝暦10年(1760年)に立てられた石仏で、風化して顔の造作などは判別できないが、霊験あらたかとされており、近隣の信仰を集めているという。地蔵尊にはまだ新しい千羽鶴が供えられており、信仰は周辺の住民に脈々と素朴に受け継がれていて、仏教でも、神道でもない日本人の宗教観が窺える。集落を抜けて再び谷戸の雑木林の道に入ると、その一部がフィールドアスレチック場になっていて子供達の楽しそうな歓声が辺り一帯から谷戸を包み込むように聞こえてくる。20年ほど前に、このフィールドアスレチック場で幼かった子供達を遊ばせたことが懐かしく思い出される。雑木林の中にも畑が拓かれ、いく筋もの道が通っており、フットパスガイドに記載された道を特定することをあきらめて、小川のような岩川の流れに沿って走る鎌倉道に出る。鎌倉道といっても道は舗装され、かなり車の往来もある。この道が国道246号線と交差するところに、先ほど立ち寄った福泉寺がある。

 来たときとは別の道で長津田駅に向かうと、江戸時代に長津田の領主であった旗本岡野家の菩提寺として建立された曹洞宗の大林寺(だいりんじ)がある。知行千石の岡野家は直参旗本として上位の家柄といえ、境内の岡野家墓所には三十基に及ぶ墓石が祀られている。ちなみに、私の愛読書のひとつ鬼平犯科帳の火付盗賊改め方長官の長谷川平蔵は四百石の旗本である。また、戦後に活躍したマジッシャン・引田天功のお墓もがる。

 今回はフットパスカイドのルートから外れたぶり歩きとなったが、身近なところに歴史があり、道はそれを確実に現在に伝えていることを感じた。

写真7 伯楽谷戸の天王社 写真8 伯楽谷戸の林地蔵尊  写真9 大林寺


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